礼拝(要約)
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」
ペテロの手紙第一2章9節
2026年9月27日
『神様のものとされた民』
ペテロの手紙第一2章9〜10節
先日、新聞に、長く会社で働いてきた方が、会社を離れた時に「では、あなたは何者ですか」と問われ、言葉に詰まったという話が紹介されていました。
「私は何者なのか。」
今朝の御言葉は、この問いに答えています。
①「来なさい」
2章4節には、「主のもとに来なさい」とあります。私たちはまず、主のもとに来るよう招かれています。
詩篇42篇1節には、「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます」とあります。鹿が水を求めて谷川へ行くように、私たちも主を慕い求めます。
以前、教会に来たいと願いながら、事情があって来ることのできなかった姉妹が、涙を流しながら証ししておられる姿を見たことがあります。その姿から、主を慕い求める心を思わされました。私たちにも、主を慕い求めずにはいられない時があります。心が渇いている時も、祈りの答えが見えない時も、思うようにならない時も、まず主のもとに来る。主のもとに来て、主からいのちをいただく。そこから、すべてが始まります。
主は「生ける石」であり、その主のもとに来る私たちも、「生ける石」と呼ばれています。そして、その一人ひとりが、共に一つの「霊の家」に築き上げられていきます。
先日のさんび伝道会では、一人ひとりが、これまで励まされてきた聖歌や讃美歌を選び、共に賛美しました。それぞれが、これまでの人生の歩みの中で主から受けてきた恵みを、今、教会全体で共に味わっている。そこに私は、「生ける石として、霊の家に築き上げられる」という教会の姿を感じました。主のもとに招かれた者たちが、主に生かされ、いま共に歩んでいる。そのように思わされたのです。
主のもとに来て、主からいのちをいただき、共に生かされて歩む。私たちの信仰の歩みは、そこから始まります。
②「神のもの」
9節には、「神の所有とされた民」とあります。この御言葉から、イザヤ書43章1節の御言葉を思い起こします。
「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」
国府津海岸には、数えきれないほどの石があります。一つひとつを見れば、どこにでもあるような、名前もない平凡な石です。私も、その中の一つの石ころのような、平凡な者だと思います。けれども神様は、この私を知っていてくださる。
「わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」
私は以前、神様のことを何も知らずに歩んでいました。その私を、神様の方から招いてくださいました。そして、この私に、「あなたは、わたしのものだ」と語ってくださるのです。
10節には、「以前は神の民ではなかったのに、今は神の民」「以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者」とあります。「今は神の民」「今はあわれみを受けた者」。これは今、神様が私たちに与えてくださっている恵みです。神様は私たちを、ご自分のものとしてくださっています。
「神のものとされた民」。これが、今の私たちです。
③「伝える」
9節の後半には、「それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」とあります。私たちを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった主。その主がしてくださった、すばらしいみわざを伝えるのです。
私自身も、神様を知らずに歩んでいました。しかし、クリスチャンとの出会いを通して、生きておられる主を知りました。やみの中にいた私が、神様の驚くべき光の中に招かれた。その喜びが、人に伝えたいという思いになっていきました。
「すばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」
この御言葉は、私自身の歩みにも重なります。
そして、私たちの教会も、これからこの地に、主のすばらしいみわざを伝えていこうとしています。だからこそ、私たちも、まず主のもとに来たいのです。主のもとに来て、主に生かされ、主からいただいた恵みと喜びをもって、伝えてまいりましょう。
「主のもとに来なさい。」
国府津キリスト教会 牧師 清水良高
祈祷会(要約)
「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。」
詩篇100篇3節
2028年9月30日
『私は主のもの』
詩篇100篇1〜5節
① 喜び歌いつつ御前に来たれ
1〜2節には、「喜び」という言葉が三度出てきます。
「喜びの声をあげよ。喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。」
主は、私たちを喜びの礼拝へ招いておられます。
以前、母教会で駐車場案内の奉仕をしていました。礼拝に来られる方々をお迎えする喜びがありました。でも、それにもまして、奉仕している私たちの心に、主に仕える喜びがありました。みんな、湧き上がる喜びに輝いて奉仕していたんです。
主に向かうとき、主に仕えるとき、主の御前に出るとき、私たちには、喜びが湧き上がる。
② 私たちは主のもの
では、なぜ私たちは喜びをもって主の御前に出ることができるのでしょうか。
3節は、「知れ。主こそ神」と語ります。これは、主について知識を持つだけではなく、生きておられる主との交わりの中で、「主こそ神である」と知っていくことです。
続いて、「主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である」と語られます。
先週、普段教会に来られていない方々を訪ね、敬老感謝礼拝の記念品をお届けしました。
皆さん、初めてお会いする方々でした。アポイントなしで伺ったのに、不思議なほど皆さんにお会いすることができ、一人ひとりと祈ることができました。その時、この方々も主の民、主の牧場の羊なのだと、あらためて思わされました。
私たちは主のものです。主の民であり、その牧場の羊として、養われ、導かれています。この主との生きた関係があるからこそ、喜びが湧き上がってきます。
③ その大庭に入れ
4節は、感謝と賛美をもって主の御前に出るよう招いています。
「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。」大庭は、主の御前で礼拝する場所です。
先日読んだ本に、感謝があるところには喜びが生まれ、喜びがあるところには賛美が湧き上がってくる、とありました。詩篇100篇の「感謝」「喜び」「賛美」という言葉と重なり、心に残りました。
私たちは日曜日、主の御前に集まり、礼拝をささげます。そして、この礼拝は日々の生活へと続いていきます。聖霊に助けられながら、日々、主の御前で生きる。これもまた、私たちの礼拝です。
5節は、主のいつくしみ、変わらない恵み、代々に至る真実を語ります。
私たちは、いつくしみ深い主のものです。
この恵みを覚え、喜びと感謝をもって、生ける主とともに日々歩んでまいりましょう。
国府津キリスト教会 牧師 清水良高


