8月第3週のメッセージ|礼拝

2026年8月16日『御霊の実』ガラテヤ人への手紙5章22〜25節

教会の入口に、甘夏の木があります。春先にはまだ小さかった実が、今ではずいぶん大きくなっています。毎日のように見ていると、その変化にはなかなか気づきません。けれども、春先の姿を思い出すと、「ああ、こんなに大きくなったんだな」と思います。私たちのうちにも聖霊様が働いて、少しずつ実を結んでくださいます。

ガラテヤ人への手紙5章22〜23節には、「御霊の実」として、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制が記されています。その前には、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみなど、人と人との関係を壊していく「肉の行い」が挙げられています。その「肉の行い」に対して、パウロは、「しかし、御霊の実は」と語ります。

御霊の実は、聖霊様が私たちのうちに結んでくださる実です。「御霊の実」は単数形で語られています。私は、絵の上手なご兄弟からいただいた、一房のぶどうが描かれた葉書を思い出しました。その絵を思いながら、聖霊様が私たちのうちに働いて、豊かな実を結んでくださるのだと改めて思わされました。

この説教を備えている時、講壇の上に掲げられている「キリストがあなたがたのうちに形造られるまで」というガラテヤ人への手紙4章19節の御言葉を思いました。毎週見てきた御言葉ですが、今回、5章の「御霊の実」を読みながら、この二つの御言葉が私の中で一つにつながりました。

「御霊の実が結ばれるということは、私たちのうちにキリストが形造られていくことなのだ。」

そう気づいた時、私は深く心を動かされました。御霊が私たちのうちに実を結んでくださるということは、私たちのうちにキリストのご性質が形造られていくことでもあるのです。

信仰を持ったばかりの頃、私は九つの御霊の実を指を使いながら覚えていました。その頃、仕事の上ではいくつもの困難が続き、悩みながら働いていました。ところが、ある時、職場の人から「君はいつもニコニコしているね。いつも嬉しそうだね」と言われました。私は驚きました。自分ではそんなふうに意識していなかったからです。今振り返ると、私の気づかないところで聖霊様が働いて、喜びの実を結んでくださっていたのだと思います。

24節には、「キリスト・イエスにつく者」とあります。パウロは、私たちがどのように歩むかを語る中で、まず、私たちが誰に属する者なのかを語っています。私たちは、キリストに属する者です。キリストに属する者とされた私たちは、十字架によって歩みの向きが決定的に変えられ、主に心を向け、主に従って歩む者とされました。

今回、この24節を読みながら、私は改めて、「私は誰に属して生きているのだろう」と問われました。日々の小さな選びから、人生の方向に関わる大きな選びまであります。私は、キリストを信じて歩み始めてから、「自分はどうしたいか」ということだけではなく、「主に喜ばれる道はどちらだろう」と考えるようになりました。今、国府津の地に導かれ、牧師としてこの講壇に立っていることも、その歩みの続きなのだと思います。私自身も、キリストに属する者として、これからも主に喜ばれる道を求めながら歩んでいきたいと思います。

25節には、「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか」とあります。「進もう」と訳されている言葉には、歩調を合わせて歩む、という意味があります。御霊によって生かされている私たちが、その御霊に歩調を合わせて歩んでいこう、という招きです。

使徒の働き16章では、パウロたちは、進もうとしていた道を御霊によって止められ、やがてマケドニアへと導かれていきました。自分たちが最初に考えていた道ではなく、主が示してくださる道へ、一歩ずつ進んでいったのです。

私は朝の祈りの中で、「今日も聖霊様に導かれて歩ませてください」と祈ってきました。今も、そのように祈っています。人と話す時も、働く時も、何気ない毎日の中でも、聖霊様と共に歩んでいきたいと思います。

私たちは、キリストに属する者として、御霊によって生かされています。そして聖霊様は、今も私たちのうちに働き、少しずつ御霊の実を結んでくださいます。

「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。」

今週も、この御言葉を心に、聖霊様の導きに歩調を合わせて歩んでまいりましょう。

国府津キリスト教会 牧師 清水良高

TOP