礼拝(要約)
「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。」
コロサイ人への手紙3章15節
2026年8月30日 『キリストの平和が支配する』
コロサイ人への手紙3章12〜17節
教会のホームページやインスタグラムを通して、私たちは何を伝えていくのか。改めて考えさせられました。
私たちが伝えたいのは、神様の愛です。神様が、私たち一人ひとりを愛してくださっている。そして、その愛を一人でも多くの方に知っていただきたい。その願いが、私たちの教会の働きの中心にあります。
先週、私たちはイエス様の御言葉から「互いに愛し合いなさい」ということを共に受け取りました。神に愛されている私たちが、その愛によって互いに愛し合っていく。そして今週は、キリストの平和の中で、私たちが一つとなって歩む恵みを御言葉から受け取ります。
① 愛を身に着ける
12節には、「神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として」とあります。私たちに「身に着けなさい」と勧められる前に、すでに主がしてくださった恵みがあります。私たちは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのです。まず恵みがあり、その恵みを受けて私たちの歩みが始まります。
その上で御言葉は、深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着け、互いに忍び合い、赦し合うようにと語ります。そして、そのすべての上に「愛を着けなさい」と勧めます。
以前、ある説教者が、着物姿のご婦人を見て、幾重にも重なる着物を最後に帯が一つに結んでいる姿から、「愛という帯で一つに結ばれてこそ、美しい装いになる」と語っていたことを思い出しました。
深い同情心も、慈愛も、謙遜も、柔和も、寛容も、そして忍び合い、赦し合うことも、愛によって一つに結ばれていきます。私たちは考え方も、性格も、歩んできた道も違います。その私たちが、愛によって一つに結ばれていくのです。
② キリストの平和に支配される
「キリストの平和」とは、主イエスが十字架によって与えてくださった、神との和解の平和です。
私たちの生活には、心が揺れ、目の前の出来事によって心が乱される時があります。けれども、私たちには、キリストによって神と和解させていただいた平和があります。
教会の前に広がる国府津の海も、風が吹けば白波が立ち、時には大きく荒れます。その海を見ながら、私たちの心も、目の前の出来事によって波立つことがあると思わされました。それでも、私たちの心の深いところには、キリストが与えてくださった平和があります。
そして15節は、私たち一人ひとりの心から教会全体へと広がっていきます。私たちは「召されて一体となった」一つのからだです。愛を身に着け、互いに忍び、赦し合い、キリストの平和の中で一つのからだとして歩む。これが教会の姿です。
③ キリストのことばに満たされる
16節は、キリストのことばを私たちのうちに豊かに住まわせるようにと語ります。
先日、ゲストとして来てくださった先生から、私が神学生の頃に伺ったお話を思い出しました。先生は若い頃、いろいろなことで悩み、心が弱くなった時、御言葉を心に刻み、毎日繰り返し御言葉を受け取っていかれたそうです。そうする中で、御言葉によって本当に生きる力をいただき、その体験が、御言葉を伝える働きへとつながっていったと伺いました。
御言葉が私たちの心に豊かに宿るとき、その御言葉が私たちを生かしてくださいます。御言葉によって励まされ、互いに支えられ、そこから賛美と感謝が生まれていきます。
17節には、語ることも行うことも、すべて主イエスの名によってするようにとあります。私自身、この数日間、「これは、主イエスの名によってすることだろうか」と心に問いながら歩んできました。そして改めて、私たちの信仰は礼拝の時だけのものではなく、毎日の生活のすべてを、主イエスの弟子として、主イエスとともに歩むことなのだと教えられました。
私たちには、イエス様が十字架によって与えてくださったキリストの平和があります。心が揺れる時にも、この平和は私たちに与えられています。
愛を身に着け、キリストのことばに満たされ、主イエスの名によって、ともに歩んでいきたいと思います。
私たちの教会が、キリストの平和に満たされ、その平和の中で一つのからだとして歩む教会となりますように。
国府津キリスト教会 牧師 清水良高
祈祷会(要約)
「平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」
エペソ4:3
2028年9月2日 『平和のきずな』
エペソ人への手紙4章1〜3節
エペソ人への手紙4章は、「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい」と語り始めます。「召された」とは、神が私たちをご自分のもとへ呼んでくださったということです。1〜3章には、その召しに先立って、神がキリストにあって私たちに与えてくださった救いの恵みが語られています。私たちはキリストにあって選ばれ、恵みによって救われ、十字架によって神と和解させられました。そして隔ての壁が取り除かれ、一つのからだとされました。まず恵みが先にあります。その恵みを受けて、召された者としての歩みが始まります。
① 召された者として歩む
パウロは獄中にありながら、自分を「主の囚人」と呼びました。置かれた場所を主に仕える場所として受け止め、教会にも「召しにふさわしく歩みなさい」と勧めています。私たちも、神に呼ばれ、恵みをいただいた者です。その恵みの中を、主に従って歩んでいくことが、召された者としての歩みです。
② 愛をもって歩む
2節には、「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い」とあります。私たちには違いがあり、弱さもあります。しかし、同じ主に赦され、同じ主に召された者どうしです。だからこそ、愛をもって相手を受け止め、一緒に歩んでいくことができます。相手を大切にし、自分を低くして仕えていく。謙遜、柔和、寛容、そして愛をもって忍び合う。その姿の中心には、十字架でご自身を与えてくださったイエス様がおられます。
③ 平和のきずなに生きる
パウロは「御霊の一致を保ちなさい」と語ります。「保つ」という言葉は、すでに与えられているものを大切にしていくことを思わせます。4節にも「からだは一つ、御霊は一つ」とあります。御霊の一致は、私たちが作り出すものではありません。キリストが十字架によって神との和解と平和を与え、同じ御霊によって一つのからだとしてくださった恵みです。ここでも、まず恵みが先にあります。
この御言葉を黙想する中で、「熱心に保つ」とは、自分の頑張りだけに頼ることではなく、平和を与えてくださった主の御前に出て、主を見上げることだと教えられました。主の御前に謙り、主が与えてくださった平和を受け取り、その一致を大切にしながら互いに歩んでいくのです。
先日、礼拝後に皆で教会前の草刈りをしました。私たちは、それぞれ違いのある者どうしです。その一人一人が、共に一つの奉仕をすることができました。私も共に奉仕しながら、主が私たちを一つのからだとして召してくださっていることを改めて感謝しました。
私たちは、主に召され、同じ主に赦され、同じ御霊によって一つのからだとされています。違いの中で、主の御前に謙り、主を見上げ、愛をもって互いに歩んでいきましょう。そして、主から与えられた平和を受け取りながら、御霊の一致を大切にし、一つのからだとして共に歩んでまいりましょう。


