礼拝(要約)
「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。」
マタイの福音書5章14節
2026年9月20日
『地の塩、世の光』
マタイの福音書5章13〜16節
私たちは日曜日に教会へ集まり、御言葉を聞きます。そして礼拝が終われば、それぞれの生活へ戻っていきます。家庭へ、仕事へ、近所の人たちの中へ。信仰の歩みは、教会の中だけで終わるものではありません。
そして、その毎日の生活の中で、イエス様は私たちに語ってくださいます。
「あなたがたは、地の塩です。」
「あなたがたは、世界の光です。」
① 地の塩として歩む
今日の聖書箇所は、イエス様が語られた「八つの幸い」の続きです。「心の貧しい者は幸いです。」と始まり、神様の前にある心の姿と、人との関わりの中に現れる歩みが語られています。こうして八つの幸いを語られたイエス様は、「あなたがたは、地の塩です。」と語られました。
塩は料理の中に入ると溶けて、姿は見えなくなります。しかし、ほんの少しでも料理全体の味を変えます。隠し塩は、自分を主張するのではなく、ほかのものの味を引き出します。イエス様は、その塩にたとえて、「あなたがたは、地の塩です。」と語られました。
私たちは、家庭や仕事、人との関わりの中で、神様からいただいたいのちに生きます。その歩みを通して、周りの人に影響を与えていく。それが、地の塩として歩むということです。
そして、その歩みの土台にあるのが、イエス様に救っていただいた喜びです。私自身、イエス様に救っていただき、新しいいのちをいただきました。その救われた喜びは、今も心の底にあります。苦しい時や疲れる時があっても、「イエス様に救っていただいた」という喜びがあります。
その喜びが、あわれみをもって人に接すること、柔和に歩むこと、平和をつくることへと現れていきます。私たちもこの国府津で、それぞれ置かれた場所で、地の塩として歩んでいきたいと思います。
② 世界の光として歩む
次に、イエス様は「あなたがたは、世界の光です」と言われました。また、イエス様ご自身も「わたしは、世の光です」と語っておられます。イエス様に従う者は、「いのちの光を持つ」と約束されています。
神様は、私たち一人ひとりに御顔を向け、恵みと平安を与えてくださいます。元気な時にも、弱さを覚える時にも、祈る言葉さえ出ない時にも、神様は私たちに心を向けてくださっています。私たちは、その神様の御顔の光を受けて、日々の生活の中を歩んでいきます。
イエス様は、あかりを燭台の上に置けば、「家にいる人々全部を照らします」と言われました。私たちが神様からいただいた光も、日々出会う人たちとの関わりの中に現れていきます。その人たちの中で、クリスチャンとして神様とともに生きる。その歩みそのものが、周りの人への証しとなっていくのです。
先日、長い間社会の中でクリスチャンとして歩んでこられた方から、「神様とともに歩んできて、本当に幸いだった」と伺いました。様々なことがあっても、信仰を隠さず神様とともに歩んでこられた。その長い歩みそのものが、周りの人への証しとなっていたのだと思います。
③ 光を輝かせて歩む
イエス様はさらに、私たちの光を人々の前で輝かせるようにと言われました。そして、人々が私たちの良い行いを見て、天におられる父なる神様をあがめるようになることを願っておられます。
神様は、まず私たちを愛してくださいました。その愛を受けて生きる中で、私たちも人を思いやり、困っている人に手を差し伸べ、祈り、愛をもって仕える者へと導かれていきます。神様から受けた愛が、私たちの日々の生活の中に現れていくのです。
私は仕事で何度も中国へ行き、現地のクリスチャンたちと出会い、一緒に仕事をし、祈りの友となりました。その中で、ある証しを聞きました。ある村に、クリスチャンたちを苦しめていた指導者がいたそうです。その人の子どもが重い病気になった時、クリスチャンたちは、自分たちを苦しめていた人の子どもを、心を尽くして看病し、祈り続けました。そして、その子どもは癒やされたと聞きました。クリスチャンたちの愛の姿を見ていたその指導者自身も、やがてクリスチャンになったそうです。
彼らの信仰は、愛の行いとなって現れました。自分たちを苦しめていた人にも愛をもって仕え、祈った。その姿を通して、一人の人の目が神様へと向けられていったのです。
「あなたがたは、地の塩です。」
「あなたがたは、世界の光です。」
この御言葉は、今日を生きる私たちにも語られています。
家庭で、仕事で、人との関わりの中で、そしてこの国府津で、地の塩、世界の光として歩んでいきたいと思います。私たちの歩みを通して、人々の目が神様へと向けられ、天におられる父なる神様があがめられることを願いながら、今週も歩んでまいりましょう。
国府津キリスト教会 牧師 清水良高
祈祷会(要約)
「いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。」
ピリピ人への手紙2章16節
2028年9月23日
『光を輝かせる』
ピリピ人への手紙2章14〜16節
私は、国府津キリスト教会に遣わされるまで、長い間、母教会の早天祈祷会に通っていました。毎朝、御言葉をいただき、祈り、そこから一日の歩みを始める。振り返ってみると、私は本当に御言葉に支えられ、御言葉に生かされて歩んできたと思います。
今回、16節の「いのちのことばをしっかり握って」という言葉が心に残りました。御言葉をしっかり握って歩む。この箇所は、そのような私たちの歩みについて語っています。
① 神が心に働いてくださる
14節には、「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい」とあります。その直前の13節には、「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて」とあります。
私たちのうちに、まず神様が働いてくださるのです。神様は私たちの心に働き、主のみこころに従って歩みたいという思いを与え、歩ませてくださいます。その恵みの中で、私たちは主を信頼して歩むことができます。
② いのちのことばを握る
15節には、「曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり」とあります。そして16節には、「いのちのことばをしっかり握って」と続きます。
「いのちのことば」とは、私たちを生かす神様のことばです。私たちは、御言葉に支えられ、導かれながら日々を歩んでいます。
先日のさんび集会で、「救い主イエスと」を一緒に賛美しました。私にも、この聖歌にはいろいろな思い出があります。人生の坂道を歩む中で、主が支え、導いてくださいました。
私たちは、いつもまっすぐに歩めるわけではありません。失敗することもあります。下を向いてしまう時もあります。それでも、御言葉に聞く時、主はもう一度、歩む道を示してくださいます。
御言葉は、私たちをもう一度立たせ、歩ませてくださるのです。
③ 光として輝く
16節には、「彼らの間で世の光として輝くためです」とあります。
「曲がった邪悪な世代」のただ中で、神の子どもとして生きていく。その歩みが、周りの人への光となっていきます。
そしてパウロは、今だけでなく、キリストの日、すなわち再臨の日までを見据えています。
神様は、今日も私たちのうちに働いてくださいます。だからこそ、「いのちのことばをしっかり握って」、御言葉に生かされながら、神の子どもとして日々を歩んでいきたいと思います。
この御言葉を心に留めて、それぞれの場所へ遣わされて参りましょう。
国府津キリスト教会 牧師 清水良高


