礼拝(要約)
「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
ルカの福音書10章42節
2026年9月6日
『必要なことは一つ』
ルカの福音書10章38〜42節
数か月前、これからの礼拝で語る御言葉の長期計画を祈りながら考えました。その時には、一つ一つの御言葉が、今の教会の歩みとどのようにつながっていくのか、分かっていたわけではありません。けれども毎週、御言葉を開いて準備する中で、その時その時に必要な御言葉が与えられていることに、何度も驚かされ、感謝しています。今週、与えられたのは、「必要なことは一つだけです」という御言葉でした。
① 主の足もとで御言葉を聞く
ルカの福音書10章では、七十人の弟子たちが主から遣わされます。イエス様は「さあ、行きなさい」と語られ、弟子たちは主に従い、主から遣わされて歩みます。また27節には、「あなたの神である主を愛せよ」「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」とあります。続く良いサマリヤ人のたとえでは、傷ついた人に近づき、助ける姿が示され、最後に「あなたも行って同じようにしなさい」と語られました。
ところが、その直後です。マリヤは「主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた」とあります。
愛する人の言葉は聞きたいものです。以前、海外に長期出張していた時、家族から電話がかかってきました。電話の向こうから「お父さん」と声が聞こえてきました。離れていたからこそ、その声を聞きたかった。愛する家族の声だったからです。
この御言葉を読みながら思いました。マリヤが聞いていたのは、主の御言葉です。私たちも、愛する主の声だからこそ聞きたい。
まず主の足もとに座り、主の御言葉を聞く。
私たちは主に従い、主から遣わされて歩みます。その歩みの原点は、まず主の足もとで御言葉を聞くことです。
② 「マルタ、マルタ」と呼んでくださる主
マルタは主を喜んで家に迎え、もてなしのために一生懸命に動いていました。しかし、その中で心は少しずつ「いろいろなこと」に引っぱられていきます。そして「私だけ」という言葉が出てきました。最初は主を喜んで迎えたマルタでしたが、いつの間にか心は、主ご自身よりも、自分がしていることや周りのことへ向いていったように見えます。
そのマルタに、主は「マルタ、マルタ」と呼びかけられました。
私はこの御言葉を読んでいて、主ご自身が『マルタ、わたしはここにいるよ』と、ご自分のもとへ招いてくださっているように感じました。
私たちも、一生懸命に歩んでいるうちに、いつの間にか心が「いろいろなこと」に向いてしまうことがあります。けれども主は、その私たちを見ておられます。そして今も、一人ひとりに呼びかけ、ご自分のもとへ招いてくださいます。
③ 必要なことは一つ
イエス様は、マリヤについて「その良いほうを選んだ」と語られました。その「良いほう」とは、主の足もとに座り、御言葉を聞くことでした。そして、「彼女からそれを取り上げてはいけません」と語られます。
「必要なことは一つだけです。」
私は、この御言葉の前で立ち止まりました。自分には「しなければいけない」と思っていることがたくさんあります。教会のこともあります。これからの歩みのこともあります。一つ終われば、また次のことを考えています。
けれども主は、「必要なことは一つだけです」と語られます。
まず主の足もとへ行く。御前に出て、主の御言葉に耳を傾ける。そして、主の声を聞きながら、一つ一つの歩みを進めていく。
主のために働くことも、人を愛して手を差し伸べることも大切です。そのすべての歩みを支えるのは、主のもとにとどまり、主の御言葉を聞くことです。
主は今日も、私たちをご自身のもとへ招いてくださっています。私たちもまず主の足もとで御言葉を聞き、この主に信頼し、主に従って歩んでまいりましょう。
国府津キリスト教会 牧師 清水良高
祈祷会(要約)
「主よ。お話ください。しもべは聞いております。」
サムエル記第一3章10節
2028年9月9日
『主よ、お話ください』
サムエル記第一3章9〜10節
サムエルは、母ハンナの祈りによって与えられ、幼い時から主にささげられ、祭司エリのもとで主に仕えていました。一方、エリの息子たちは主を軽んじ、エリの家には神の裁きが告げられていました。そのころは主からの語りかけも少ない時代でした。そのような中で、主は少年サムエルを呼ばれました。
① 主がサムエルを呼ばれる
サムエルは、神の箱が安置されている主の宮で寝ていました。神の箱は、主がイスラエルと結ばれた契約のしるしであり、主の臨在を象徴する大切なものでした。3節には「神のともしびは、まだ消えていず」とあります。夜明け前、聖所の灯がまだともっている中で、サムエルは主の宮にいました。その静かな時に、主は彼の名を呼ばれました。
サムエルが、主の臨在を覚える場所に身を置いていたことが心に留まります。私たちは毎日の生活の中で、さまざまな声を聞きながら過ごしています。だからこそ、御言葉を開き、祈り、主の前に静まり、主に心を向ける時を大切にしたいと思います。
サムエルは最初、それが主の呼びかけだとは分かりませんでした。それでも主は繰り返しサムエルを呼ばれます。サムエルが気づく前から、主は彼を知り、その名を呼んでおられたのです。
② お話ください。しもべは聞いております
主はサムエルのそばに来られ、「サムエル。サムエル」とその名を呼ばれました。その主にサムエルは、「お話ください。しもべは聞いております」と応答しました。
先日の礼拝前、若い方々が教会に導かれ、主を知り、主につながることができるように祈ることが心に示され、しばらく会堂で祈りました。礼拝が始まった時には新しい方はいないのかと思いましたが、私の気づかないところで一人の若い方が礼拝に来ておられました。若い方が来られたことを感謝するとともに、主が示してくださったことに応答する大切さを、もう一度教えていただいたように思いました。
主は、私たちが気づく前から働いてくださいます。私たちも「主よ。お話ください」と、主の語りかけを受け取る者でありたいと思います。
③ 聞いた御言葉に従う
サムエルが聞いたのは、エリの家に対する厳しい御言葉でした。サムエルはそれをエリに語ることを恐れましたが、18節には「すべてのことを話して、何も隠さなかった」とあります。サムエルは、主から聞いた御言葉を何も隠さず伝えました。
私たちも、主から受け取った御言葉を大切に受け取り、その御言葉に聞き従って歩んでいきたいと思います。
主はサムエルを呼び、御言葉を語ってくださいました。そして今、神は御子イエス・キリストによって私たちに語ってくださっています。私たちも、語ってくださる主の前に出て、「主よ。お話ください。しもべは聞いております」と祈りつつ、今週も御言葉に聞き従って歩んでまいりましょう。
国府津キリスト教会 牧師 清水良高


